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【短期連載】MTRLメンバーが選ぶオススメ書籍紹介vol.6(東西チームリーダー編)

【短期連載】MTRLメンバーが選ぶオススメ書籍紹介vol.6

人文社会学、デザイン、芸術、メディアデザイン、建築など…材料基軸のプロジェクトデザインを多く手掛けるMTRLのメンバーは、多種多様なバックボーンを持ったメンバーが集っています。
本企画では、MTRLメンバーのこれからのマテリアルを考える上でオススメする書籍を紹介します。それぞれの選ぶ書籍を通してそれぞれのメンバーの考える「マテリアルとは何か?」に迫ります。

Vol.6はMTRLの渋谷と京都の東西チームリーダー2名が登場。チーム発足時から在籍する最古参のメンバーはどのような選書をしたのか、最後までぜひお楽しみください。

vol.5登場メンバー

株式会社ロフトワーク, MTRL事業責任者 / 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科特任研究員
小原和也(弁慶)

2015年ロフトワークに入社。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了(デザイン)。素材/材料の新たな価値更新を目指したプラットフォーム「MTRL」の立上げメンバーとして運営に関わる。現在は事業責任者兼プロデューサーとして、素材/材料基軸の企業向け企画、プロジェクト、新規事業の創出に携わる。モットーは 「人生はミスマッチ」。編著に『ファッションは更新できるのか?会議 人と服と社会のプロセス・イノベーションを夢想する』(フィルムアート社,2015)がある。あだ名は弁慶。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科特任研究員。

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株式会社ロフトワーク FabCafe Kyoto ブランドマネージャー
木下 浩佑

京都府立大学福祉社会学部福祉社会学科卒業後、カフェ「neutron」およびアートギャラリー「neutron tokyo」のマネージャー職、廃校活用施設「IID 世田谷ものづくり学校」の企画職を経て、2015年ロフトワーク入社。素材を起点にものづくり企業の共創とイノベーションを支援する「MTRL(マテリアル)」と、テクノロジーとクリエイションをキーワードにクリエイター・研究者・企業など多様な人々が集うコミュニティハブ「FabCafe Kyoto」に立ち上げから参画。ワークショップ運営やトークのモデレーション、展示企画のプロデュースなどを通じて「化学反応が起きる場づくり」「異分野の物事を接続させるコンテクスト設計」を実践中。社会福祉士。2023年、京都精華大学メディア表現学部 非常勤講師に就任。

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MTRL事業責任者 小原和也(弁慶) 

オススメ書籍①
書籍名:「デカルトからベイトソンへ 世界の最魔術化」(モリス・バーマン,国文社,1989)

コメント :
みなさん、いつもお世話になっております。MTRLの弁慶です。
MTRLはそのまま「マテリアル」と読みます。みなさんが思い浮かべる「マテリアル」って、なんですか?
材料とは、ものを製造する際、もととして用いる物、原料、しろ、たね、を指すことが多いです。「製品」を構成する「人工物」を構成する物質の総称を指します。また、材料の区分は、一般的に「原材料、基礎化学品、機能性材料、成形材料、デバイス、製品」という区分で把握されることが多いです。
「なるほど!やはりマテリアルは、科学的と呼ばれる分野を専門とする人々が扱うものだな。」そんなイメージをもつ方が多いかもしれません。たしかにマテリアルは、技術者、研究者、開発者、と呼ばれる人が扱っていることも確かに多いのも事実です。
このように従来、素材にまつわる現場、特に製造業では、思いがけない発明、高度な機能の開拓こそがイノベーションを創出するとされてきました。しかし現在、高度な機能の開拓、さらには改良・改善への再投資だけでは、イノベーションを実現することは困難になってきているように感じます。

そんな中、私たちMTRLは、これからの開発において、デザインが強力なツールになると考えています。デザインは意匠のことだけを指すのではなく、「なぜ開発するのか」「それは私たちの生活に意味があるものなのか」を問う行為そのもののことであると考えています。
エンジニアリング、サイエンスが大きく比重を占める現場に、デザインやアートがもつ価値を武器にして、組み合わせて考える。そんなデザインやアートの価値を、材料開発の現場に届けたい。そんな想いをもって私たちは活動しています。
シンプルに、誤解を恐れずに言うと、「どのように動くか(=HOW)」を考えるアプローチがエンジニアリング、サイエンスであれば、「なぜ動くか(=WHY)」を考えるアプローチが、デザインやアートができることだと理解しています。
そんな考えに至らせてくれた書籍は様々あるのですが、私に一番インパクトを与えてくれたのが本書です。

アメリカ合衆国の歴史家、社会批評家であるモリス・バーマンは、17世紀、デカルトとニュートンのパラダイムの成立、つまり私たちが近代科学と呼ぶものによって、世界から魔術が失われてしまったと主張します。
バーマンが定義する魔術とは、近代と呼ばれるもう一つ前の中世以前にあった、先述の「どうやって(=HOW)」と「なぜ(=WHY)」が不可分で、ごちゃっと連環した考え方で構成されていた世界観のことを指しています。他の言葉を借りて言うのであれば、モノ(物質)やコト(経験)が分かちがたく、いきいきと結びついていた時代があった、ということです。
日本が誇る知の巨人・松岡正剛も、「本書」の解説の中で、

古代中世では地域や部族や風土ごとに「世界」があって、「心」と「もの」とは一緒くたに捉えられていた。「世界」と「心」と「もの」とは、つながった意味をもっていたはずだった。けれども十八世紀、これらは新たな「理性」によって、これまでの考え方が退けられてしまった

と指摘します。
このような合理的で科学的な思考によってできあがった近代的な世界は、私たちに多くの恩恵を与えてくれたことは、みなさんも疑いようのない事実だと思います。このような近現代社会の特徴は、すべての価値観を定量化でき、分析し、設計可能であると主張するところにあると考えています。そんな世界観、とっても便利そうだけど、楽しいですか?そして、それだけを突き詰めていく中に、なにか新しい価値が生まれそうですか?
そして私たちは(常にどんな時代もそうだけど)、革新的な考えが起きない、複雑な課題の解決のきっかけがつかめないと、私たちが作り上げたはずの世の中なのに、そんなことを常々叫んでいます。

じゃあ、そんな世界をもう一度、ごちゃっと考え直してみませんか。そして、そんなきっかけを与えてくれるのが、「どうやって(=HOW)」を考えるアプローチに加えて、「なぜなのか(=WHY)」を考えるアプローチなのではないか、そんな風に考えるようになりました。
そんなことを考えるきっかけを本書は教えてくれました。私たちの身の回りにある「モノ=マテリアル」を、また違った方法で見つめてみる。そんなMTRLでありたいと、私たちは考えています。

MTRL / FabCafe Kyoto 木下浩佑

撮影:小椋 雄太(あかつき写房)

オススメ書籍①
アニ・アルバース (著)、 日髙 杏子 (訳)
書籍名:「デザインについて バウハウスから生まれたものづくり」(白水社)

コメント :
いつどのページを開いても先見性というか普遍性に驚かされる一冊。デザイナーにとっての「素材との向き合い方」を説くエッセイ集ですが、現代のものづくりに関わるすべての人に届く内容だと思っています。特に「素材とものづくり」という一編では、とんでもなく平易な言葉遣いと短い文章で、工芸と工業をつなぐ視点・態度が表され、またその射程距離が「人間の創造性とは?」というレベルにまで到達していて、痺れます。そして、この一編を読み終えた最後に現れる(1937年)の表記にまた衝撃。戦前のテキストだったとは…… 20世紀初頭、工業の発展に伴い生まれた革新的な素材に対して当時のデザイナーたちが実験を繰り返しながら新しい価値をかたちにしてきたプロセスは、産業構造が変化する最中にあるいま、あらためて参照できるのでは?と感じます。

オススメ書籍②
ユッシ・パリッカ (著)、 太田 純貴 (訳)
書籍名「メディア地質学 ごみ・鉱物・テクノロジーから人新世のメディア環境を考える」(フィルムアート社)

コメント :
こちらは新しめの本(原著2015年、邦訳2022年)。実はまだぜんぜん読み終えられておらず、また難しくて理解が追いついていない…のですが、「物質/素材の視点から情報技術やデジタル社会を捉え直す」きっかけをいただいた一冊ということで挙げてみました。一見すると「脱物質」的にも思えるデジタル化/スマート化ですが、通信・メディア技術の進化と社会実装は、結局のところ大量の物質的な素材やエネルギーをインフラとして使用することで成り立っています(素材としては、たとえば電池、コンピュータに使われるレアメタル、通信網のための光ファイバー、などなど)。これらの素材の発掘から製造、使用、廃棄にいたるプロセスは、長い時間軸で捉えたときにどんな意味を持つのか?地球環境の保全や人権の保護はもちろん、情報技術やそれらに付随する記録、生産といったシステム面においての持続可能性を考えるうえでも、「素材」が鍵になると再認識したのでした。

オススメ書籍③
書籍名:「尾崎放哉 句集」(春陽堂 放哉文庫)

コメント :
三冊目は、「咳をしても一人」の句で知られる、自由律俳句を代表する俳人 尾崎放哉の句集。『デザインについて バウハウスから生まれたものづくり』と同様、こちらも折に触れて手に取る本です。優れた俳句は、極めて短い文字数(≒シンプルなコード)で感情や知覚、記憶を呼び覚まし、一瞬にしてそのシーンを脳内再生&没入させてくれる(…という意味においてはVR的なテクノロジーともいえますね、俳句って)のですが、放哉の「“身体”をどこか離れたところから“物質”として見ている」ようなある種ドライで客観的な視線から、ドライどころかむしろ強烈なエモーションが引き起こされる感覚は、「素材を起点にした体験価値」を考えるうえで大きなヒントになるような気がしています。物質や現象と人間の感情を直結させて拡張、増幅するナラティブのつくりかたは詩や俳句から学べるのかもしれない、そんな予感。

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