- Event Report
“なんかいい” を指標化するには?身体で感じる「主観」の探求 – 「あなたは『無』を買いますか?」#1 レポート
ウェルビーイングに「感性と身体性」からアプローチするためのヒントを考えるトークシリーズ「あなたは『無』を買いますか?」。心理学や哲学、認知科学などを専門とする関西大学の研究者のワーキンググループ「身体性とウェルビーイング」研究チーム KEWRTとともに、多様性やメンタルヘルス、体験価値、AIと創造性などさまざまなトピックと私たちの「生きやすさ」「ゆたかさ」の関係性を読み解きます。
シリーズ初回は、「『無』の商品価値 – 身体性を核にした、新しい価値評価軸のデザイン」をテーマに、詩的な想像に形を与えるようなデザインとものづくりを追究するデザインスタジオ「スタジオ・ポエティック・キュリオシティ」の青沼優介さんと三好賢聖さんをゲストに迎えました。KEWRTからは、現代哲学・現象学を専門とする三村尚彦さんと、身体心理学を専門とする菅村玄二さんがスピーカーとして参加。「なぜ身体性が重要なのか?」「定量化しにくい体験の価値を測る指標とは?」など、実際の事例も踏まえながらお話しいただきました。
【イベント概要】
トーク:あなたは「無を買いますか?#1:「無」の商品価値 – 身体性を核にした、新しい価値評価軸のデザイン
◾️関西大学「身体性とウェルビーイング」研究チーム KEWRTとは
2017年4月、身体性、身体と環境の相互作用、ウェルビーイング(こころと身体の健康)に関する学際的研究を目的に、哲学、心理学、宗教学、教育学、認知科学、メディア論の研究者らによって発足した関西大学の研究チーム。これまでに建築、コンテンポラリーダンス、脳神経科学、里山活動、現代アートなど多様な領域の実践者、研究者とコラボレーションしながら研究活動を展開している。
執筆:新原 なりか
話した人
関西大学 文学部 総合人文学科 哲学倫理学専修 教授
三村 尚彦
専門は現代哲学、現象学。最近の研究テーマは、言葉にうまくできないけれど身体で漠然と感じている感覚がもつ創造性および現代美術家荒川修作+マドリン・ギンズの「建築する身体」という概念。雑談好きで、大学の講義では果てしなく話が拡散していく。
関西大学, 文学部総合人文学科心理学専修 教授
菅村 玄二
早稲田大学,University of North Texasなどを経て,2008年着任。身体の動作や感覚の心理学が専門。たとえば、「うつむいた姿勢」をとると、実際にうつ気分が増し,背筋を伸ばすと態度もポジティブになる。そこからイスやクッションの開発を行う。ほかに、柔らかい素材に触れることで考え方が「柔軟」になったり,重い荷物を背負うことで物事に対する責任を重く感じたりといったことを実験している。身体を重視しながら身心の調和を図る東洋の叡智,また自然に畏敬の念をもつ日本の文化的背景に関心をもち,それを体現する生き方を目指す。
スタジオ・ポエティック・キュリオシティ / designer, artist
青沼 優介
株式会社ロフトワーク FabCafe Kyoto ブランドマネージャー
木下 浩佑
京都府立大学福祉社会学部福祉社会学科卒業後、カフェ「neutron」およびアートギャラリー「neutron tokyo」のマネージャー職、廃校活用施設「IID 世田谷ものづくり学校」の企画職を経て、2015年ロフトワーク入社。素材を起点にものづくり企業の共創とイノベーションを支援する「MTRL(マテリアル)」と、テクノロジーとクリエイションをキーワードにクリエイター・研究者・企業など多様な人々が集うコミュニティハブ「FabCafe Kyoto」に立ち上げから参画。ワークショップ運営やトークのモデレーション、展示企画のプロデュースなどを通じて「化学反応が起きる場づくり」「異分野の物事を接続させるコンテクスト設計」を実践中。社会福祉士。2023年、京都精華大学メディア表現学部 非常勤講師に就任。
これからの「価値」を測る新しいアプローチとは?
「ウェルビーイング」という言葉をさまざまなところで耳にするようになった昨今。「主観的で多様な『幸福』をどう定義し測るのか」という問題に、あらゆる事業に従事する人が直面していると言えるでしょう。本イベントを企画した、ロフトワーク、MTRL / FabCafe Kyotoの木下浩佑はイベントのオープニングで次のように語りました。
「これから『価値』を測るために今までとは違うアプローチが必要になってくるんじゃないかという感覚は、みなさん共通して持っておられると思います。今日は、そのヒントを得るために、『主観』を大事なものとして扱っていきます。今回のイベントタイトルにある『身体性』を捉えるのも、まさにこの主観ですよね。
しかし、計測しやすくてエビデンスにもなりやすい客観に比べて、主観は “なんとなく” で終わってしまいがち。主観を可視化、具象化したり、言葉で定義したりするにはどうしたらいいのだろうか?そして、なにを “よい” とするのかという評価軸はどう設計したらいいのか? 今日は、そのあたりまで踏み込んで話していけたらと思います。正解やハウツー的なアドバイスは今日すぐには得られないかもしれませんが、みなさんの中でそれぞれインスピレーションや、もやもやしたものが湧いてくるような機会になればいいなと思います。」(木下)
身体性と言葉の相互作用の中にクリエイティビティが生まれる
現代哲学と現象学を専門とする関西大学の三村さんは、現代美術家の荒川修作+マドリン・ギンズや、哲学者・臨床心理学者のユージン・ジェンドリン、認知神経リハビリテーションなどを研究テーマとしています。これらの研究テーマに通底しているのが、「身体性」だと三村さんは言います。
「今もみなさんは、僕の声を聞いたり、スライドの文字を見たりしながら、いちいち頭で言葉にはしていないけれど、いろいろなことを感じている。その『感じ』を言葉にしようと試みた時に、体で感じているものと言葉が相互に作用しあいます。そこに新しい気づきや価値を生み出すクリエイティビティの源泉があるんだということを主張しているのが、荒川修作やジェンドリンなんです。」(三村)
菅村さんの専門は身体心理学。日常的な身体のふるまいが、どのように心とつながっているのかを研究する分野です。菅村さんは現在、姿勢と心の関係に注目し、よい姿勢を保つことのできる椅子の研究開発を行っています。
「身体心理学のほか、ノンバーバルコミュニケーション(非言語行動)の研究、人間工学、身体化認知科学などの知見を踏まえながら椅子をつくっています。しかし、実はそれだけではなく、かなり感覚的なものも取り入れているんです。私の師匠であり一緒に研究をしていた早稲田大学の春木 豊先生は、座禅、ヨガ、太極拳などさまざまなボディワークを長年実践していて、そこで培われた研ぎ澄まされた身体感覚によるフィードバックも、この椅子の開発においてかなり重要な役割を果たしています。」(菅村)
不安な気持ちを「風に流す」という体験
スタジオ・ポエティック・キュリオシティは、青沼さんと三好さんが2人で運営するデザインスタジオ。青沼さんはアーティストとして、三好さんはエンジニアとしてのバックグラウンドを持ちながらデザインの仕事をしています。
「僕たちは、名前の通り『poetic curiosity=詩的好奇心』をテーマに活動しています。個人から出てくる詩的な発想に形を与えて、体験としてうまく昇華できるようにディテールを考えていく。その行為を『デザイン』と呼んでいる感じですね。」(青沼)
二人が拠点を構えたのは2020年の初め。ちょうどコロナ禍と重なり、借りたばかりのスタジオになかなか行くことができず、苦しい日々が続いたそうです。そこから生まれたのが、「WIND WHISPERER」という作品。
「お互い生活の中で鬱憤や不安がたまっていて、その気持ちをどうにか水に流すようなことができないかと考えていたんです。そこで思いついたのが、言葉をシャボン玉に変えて “風に流す” という方法。そっと話しかけると、その言葉が泡となって出てくる装置をつくって屋外に設置し、たくさんの人に体験してもらいました。」(三好)
AIは「無」を感じることができない
4名のプレゼンに続いて、クロストークが行われました。はじめに、本イベントシリーズのタイトル「あなたは『無』を買いますか?」に込められた意味について、発案者の三村さんが語ってくれました。
三村 僕らの身体は、内容や情報が “無い” もの、例えば雰囲気とか気配、間、余白、余韻といったものを感じることができます。今話題のChatGPTをはじめ、これからAIがますます発達していくと思いますが、基本的にAIは “有る” 情報を学習してそこから回答を出します。 “無い” ものを感じて、そこに意味を見出す力に関しては、少なくとも今の段階では人間の方が優位です。僕らはそこになにかの可能性を見出すことができるのではないか、というところから「無」をキーワードにしてみました。
木下 「無」というのは、場面によっていろんな言葉に置き換えられるかもしれませんね。例えば、「役に立たない」とか「効果がない」とか。そういったものは切り捨てられてしまいがちですが、でもそこにも価値は発生しうるんだということを、このイベントシリーズでは考えていきたいと思っています。そこで問題になってくるのが、その価値をどうやって捉え、計測するのかということ。菅村さん、椅子の開発の事例ではそのあたりはどうやっているのでしょうか。
菅村 客観的なデータを測るのは簡単なんですが、主観は難しいんですよね。私が評価軸をデザインする時は、このような表に基づいて考えています。
菅村 [一人称×心理]は心理学が得意とするところで、既存のいろいろな尺度も利用できます。[三人称]の部分は先ほど言った客観的なデータの部分なので、これも計測がしやすいです。椅子の研究の中では、[二人称×行動]のところでおもしろいことが起こりました。私たちが開発した椅子を導入している小学校に出前授業に行った消防士の方が、「みんな姿勢がよく、こっちを見てくれていたので、いつもより話しやすかった」とおっしゃったんです。私たちは事前には全然想定していなかったのですが、この二人称視点での話しやすさというのは、椅子のパフォーマンスを測るとてもよい指標になるということがわかりました。
もうひとつ、指標の取り方を考える時に意識していることがあります。卒論を書く学生にもいつも言っていることなんですが。まず、先行研究や過去の事例を見て、「効果が出るに違いない」ものを押さえておく。もうひとつ、「効果が出たら意外でおもしろい、画期的だ」というものを入れる。そして、この2つを設定した後に、「その中間」を考える。中間を考えることが、クリエイティビティにも関わってくるところで、非常に重要だと思っています。
身体で感じる違和感に、価値指標のヒントがある
三好 先ほど紹介した「WIND WHISPERE」という作品では、最初に注目していたのはやはり一人称的のところ。声を吹き込んだ本人に、いかに「自分が発した言葉が本当に泡になった」と感じてもらえるか、というところにこだわりました。特に頑張ったのは、シャボン玉の泡のサイズをできるだけ大きくすること。「この中にあなたの気持ちが詰まっていますよ」と言われても不服に思わないような、高級感のあるサイズを目指しました。
ただ、実際に作品を設置してみると、二人称的な広がりも生まれてきました。声を吹き込んでいる人を見ていた人が、「もやもやした思いを抱えているのは私だけじゃなかったんだと思った」という感想をくれたんです。言葉を発した本人以外には、泡は見えるけれど、それがどんな言葉や気持ちを包み込んでいるかはわかりません。でも、間接的な共感が作品のまわりに自然と生まれていったんです。
青沼 僕らの作品は、僕や三好が発したひとことを出発点にしていることが多いんですよね。「こういうことってあるよね」とか「こういうものがあったらいいな」とか、そういうポエティカルで抽象的な一人称の言葉から始まる。機能や価値を起点とするデザインではなくて、そういった曖昧な言葉や思いにどうやって形を与えるかを考えていくというプロセスでつくっています。
木下 菅村さんの「話しやすさ」に関するお話や、三好さんがおっしゃった「間接的な共感」って、すごく大事な部分だと思うんですが、同時に、第三者がそれをとらえることってかなり難しいんじゃないかとも思います。どうやったらそういった二人称的な価値に気づくことができるのでしょう?
菅村 話しやすさに関しては、本当にたまたまその消防士さんの感想を耳にしただけなんです。だから、ご質問にお答えするとすれば、このような「たまたま」を大切にするしかない、ということになりますかね。あらかじめ想定できる指標というのはやはり限られているので、現場でどういうふうに体験されているかを継続的に観察していくという地道な作業がすべてだと思います。
木下 三村さんは、今のお三方のお話を聞いていてどんなことを思われましたか?
三村 とても興味深く聞いていたのですが、哲学を研究している立場からすると、一人称、二人称、三人称という区分け自体を疑うこともできるなと思いました。例えば、自分の中にもう一人の自分がいるような感覚は誰しも持ったことがあるでしょう。つまり、ひとりの人間の中でも「わたし」と「あなた」という二人称的な関係が生まれることがある。また、「あなた」というのは人だけではなくて、椅子だとかシャボン玉だとか、すべてのものとの間に二人称的な関係は立ち現れうる、とも言えます。そういったいろんな視点を持って体験したり観察したりすることが、先ほどのお話にもあった「たまたま」を発見することにつながるんじゃないかなと思います。
菅村 やっぱり、実際につくってみないとだめなんだと思います。アイデアはいろいろあっても、実際に形にするところまでいく人はとても少ない。椅子なら、一度つくってみて、つくったら今度は座ってみる。やってみることが何より大切だと思います。つまりそれは、自らの身体を使って体験してみるということ。そこから何に気づくか、何を引き出していくか、ということに尽きると思います。
三好 僕がさっき話したシャボン玉の大きさのことも、一度つくってみて初めて「そこに何かあるぞ」とわかった。形にして身体で体験してみることで、ひとつの軸をすくい取ることができたんです。
青沼 自分の好奇心を深堀りすることを、これからも常に怠らずにやっていきたいなと、改めて感じますね。
三村 違和感やズレに気づくというのが大事ですね。シャボン玉の大きさの話でも、最初から機能や実現の合理性だけを考えていたら、それほど追求しなかったと思うんですよね。身体で感じてみて、「なんかちょっと違う」ということを感じる。そこにこそ新しい価値指標を見つけるきっかけがあるんだろうと思います。