- Column
Material Poetics – 素材探究が描く詩的情景
「君の微笑みは蝶のように顔に広がる」
どのような情景が思い浮かんだであろうか。
これはイタリア映画『イル・ポスティーノ』のワンシーンで、主人公マリオが想いを寄せる女性ベアトリーチェに言ったことばだ。ベアトリーチェは家に帰ってもそのことばが頭から離れず、ベッドの上から外を眺めて何度も回想する。不審に思った母親がマリオに何を言われたのか尋ねる。ベアトリーチェは微笑みを浮かべながら答える。「メタファーよ」。
この映画はチリの国民的詩人パブロ・ネルーダがナポリ沖の小島に亡命していた史実を元に、一人の青年が詩人との交流を通じて成長していく姿を描いた物語である。ネルーダとの交流を深めるにつれ、自らのことばで詩を語るようになったマリオは、世界の見え方が次第に変わる。諦観した人生を送っていた一人の青年が、社会を変えようと行動を起こすようになる。
映画レビューみたいになってしまったが、『イル・ポスティーノ』にはタイトルにあるMaterial Poeticsのエッセンスが詰まっている。違うのは詩の媒体がことばではなく素材ということだ。これだけを聞いても何を言っているのかさっぱり分からないと思う。では早速、Material Poeticsとはなんなのか話していこうと思う。
Author
株式会社ロフトワーク クリエイティブディレクター
飯田 隼矢
半導体メーカーで開発職として8年間働いた後、アートとデザインを学ぶために渡英。ロンドンのCentral Saint Martins College of Arts and Design グラフィックデザイン学科を卒業。帰国後、アート・建築・デザインを手掛けるSANDWICHでのグラフィックデザイナーを経て、2018年にロフトワークに入社。
批評性をもったポジティブな素材探究
まず前提として、Material Poeticsという体系化された何かが世の中にすでにある訳ではない。Material Poeticsはこれからやろうとしている素材探究の試みである。誰かに頼まれた訳でもクライアントがいる訳でもない自主的な活動だ。
Material Poeticsでやりたいことは、素材探究を通してマリオとベアトリーチェの関係を作ること。つまり、詩人・長田弘のことばを借りれば、「みえてはいるが誰れもみていないものをみえるようにする」ことであり、素材を介して人の心に詩的情景を描くことで世界の見え方を変えることだ。
ここでいう素材探究というのは、素材の単なる「機能探究」でも「表現探究」でもない。Material Poeticsでやりたいのは、ある文脈上での「批評性をもったポジティブな可能性の可視化」である。素材の物質的な可能性を探究しつつも、フェティシズムで終わるのではなく、社会との接点を同時に意識する。
素材が持つ未知の可能性を可視化する
素材がどういうを意味を持つかは、我々が素材にどういう意味を見出すかによる。新しい意味が生まれることは、新しい価値が生まれることにつながる。詩人・岩成達也は、詩とは「言葉から意味(概念)を奪うと同時に、意味を奪われた言葉の組み合わせが第二の意味を発生させること」と述べたが、ここでいう「言葉」を「素材」に置き換えて考えてみると、素材に新しい意味を見出すヒントになる。
意味を奪い、組み合わせることとは、つまり、抽象化し、異なる対象の間に類似性を見出すことである。メタファーの機能は「2つの異なる対象を類似性に基づいて結びつけること」であり、異なる2つの対象が結び付けられることで新しい視点や新鮮さが生まれる。アリストテレスは「普通の言葉は我々がすでに知っていることしか伝えない。我々が新鮮な何かを手に入れることができるのはメタファーからである」として、メタファーが詩作における最も重要な要素であるとした。
メタファーの重要性は詩作に限ったことではない。言語学者のジョージ・レイコフと哲学者のマーク・ジョンソンは「ものを考えたり行動したりする際に基づいている概念体系の本質は、根本的にメタファーによって成り立っている」として、メタファーは認知活動に大きく関わり、我々が世界を捉える有効な手段であると主張している。
認知の仕方を変えることは未知の可能性にアクセスすることにつながる。既存のバイアスによって認知されない部分にこそ新しい可能性が潜んでいる。Material Poeticsは詩的アプローチによって認知バイアスを破壊し、素材の新たな意味を探求することで、未知の可能性を可視化することを試みる。
人間とモノの関係を素材視点で考察する
「創造的であるというのは、要するに、 人間的であるということにほかならない」とミヒャエル・エンデが言ったように、人間にとってつくることは生きることである。人間はモノや仕組みをつくることで社会を発展させてきたが、同時に多くの問題も起こしてきた。
世界的なCOVID-19の感染拡大による世界経済の著しい停滞は、所得階層による経済的、人権的な不平等が顕在化するなど、我々の社会システムが抱える問題がより浮き彫りになった。一方、経済が一時的・部分的に停止したことで、世界各地で大気汚染や水質汚染が改善するなど、我々の経済活動が地球環境に与える影響の大きさを再認識させた。
これまで世界経済を駆動してきた大量生産・大量消費型の仕組みは、標準化によって多様性を切り捨て、さまざまなモノをつくっては捨ててきた。モノをつくることで生じる問題の多くは、文脈的な想像力と批評性の欠如が原因ではないだろうか。世界的なCOVID-19の感染拡大をきかっけに様々な問題が顕在化した現在、Material Poeticsは社会を構成する人間とモノの関係を素材の視点から考察する。
詩的情景が人を動かす
人が行動を起こすためには心が動く情景が必要だ。冒頭の詩で、もしマリオが「君の微笑みは美しい」と言っていたら、ベアトリーチェの心は動いたであろうか。おそらくマリオのことばは日常会話の中に埋もれ、ベアトリーチェの印象にすら残らなかっただろう。「君の微笑みは美しい」は最短距離で想いを伝えることばだが、そこから広がる情景は皆無である。
情景を描くには詩が重要な役割を果たす。人種差別撤廃運動を率いたマーティン・ルーサー・キング牧師は、「私には夢がある」の演説の中で詩的な表現を巧みに使った。キング牧師の演説は、黒人が置かれている社会的不条理をメタファーを多用しながら訴え、同時にそれが暴力や分断ではなく融和的な解決に向けられていた。聴衆の1/4が白人であったことからも、キング牧師のことばに普遍的な求心力があったことがわかる。
Material Poeticsは素材を媒介に夢を語り、人の心に詩的情景を描くことで、ポジティブな行動が起こるきっかけを作ることを試みる。
手法としてのMaterial Poetics
「Poetics」はアリストテレスが詩作について論理的に体系化した文芸理論であるが、「Material Poetics」はメタファー的思考と批評的思考による素材探究の手法として体系化することを目指す。
近年、企業に対しては収益のような財務価値だけではなく、社会・環境・倫理・人権などの非財務価値にも焦点が当たるようになってきている。企業が持続していくためには、事業価値と社会価値の創造を両立させることが今後ますます重要になる。
Material Poeticsは、批評的視点をもった素材の価値創造の手法として、モノをつくる様々な領域で活用されることを目指すべく活動していく予定だ。
参考
- 長田弘.『アウシュヴィッツへの旅』(中公新書). 中央公論新社, 1981
- 岩成達也.『詩の方へ』. 思潮社, 2009
- アリストテレース, ホラーティウス, 松本仁助・岡道男(翻訳). 『アリストテレース詩学/ホラーティウス詩論』(岩波文庫). 岩波書店, 1997
- Aristoteles. The Art Of Rhetoric. Trans. Lawson-Tancred, H. London: Penguin Books, 2004
- ジョージ・レイコフ, マーク・ジョンソン, 渡部昇一・楠瀬淳三・下谷和幸(翻訳). 『レトリックと人生』. 大修館書店, 1986
- ミヒャエル・エンデ, 三島憲一(解説), 丘沢静也(翻訳). 『芸術と政治をめぐる対話(エンデ全集)』. 岩波書店, 2002